Indigo Films

クリエイティブビジネスタイトル


「クリエイティブな企業を経営する社長からビジネスとクリエイティビティを学ぶ」、クリエイティブ社長キャラバン。第2回のゲストは、映画制作会社FireWorks 代表取締役の林弘樹さんです。

みなさんは

「地域住民参加型の映画」

と聞かれてイメージがわきますでしょうか?

最近では「フィルム・コミッション」という 団体が各地域に存在していて、映画やテレビなどのロケーション撮影を誘致することで、地域の活性化に貢献しています。

話題をつくり、観光振興や文化振興に貢献するということですね。
例えば、「県庁の星(織田裕二さん主演)」や「UDON(うどん)」、「春の雪(妻夫木聡さん主演)」などは、香川県が誘致した有名な例です。

ハリウッドはその最初の大都市かもしれませんが、世界的にも、地域を活性化するための起爆剤として映画誘致が注目されており、ニュージーランドは、「ロード・オブ・ザ・リング」の製作に国をあげて力を注いだことで、映画事業が国の主要産業にまで発展しています。

このように、映画が地域活性のために使われることが注目されていますが、その「地域住民参加型の映画」の一例として注目を浴びた映画が、今回インタビューをさせていただいた林弘樹さんが監督した『らくだ銀座』(2003年公開)です。

『地域密着』

『市民参加』

をコンセプトに、三鷹市と福島県白河広域(12市町村) の各種団体や市民 が一体となって製作された映画です。

 

インターネットで公募した住民約700人がエキストラ&ボランティア参加
企画から制作、 上映公開にまで住民が関わった、完全な地域住民参加型の映画製作でした。

林さんは現在も、地域の活性化を促す映画・映像を製作する傍ら、有限会社FireW orksを経営しながら、イベントの企画、若手起業家のブレインとしても活躍中。

人と地域を嵐のように巻き込んでいく林さんの映画づくりには、たくさんの学びのポイントがありそうです。
映画監督兼、有限会社Fireworks 代表取締役の林さんにお話を伺いました。

 

■「ニュー・シネマ・パラダイス」が原点

ニューシネマパラダイス中学生の時に感銘を受けたイタリア映画「ニュー・シネマ・パラダイス」(1989年)。 ジュゼッペ・トルナトーレ監督の32歳の時の傑作ですが、彼の監督デビューが29歳だった事もあって、

『29歳までに、劇場公開する映画を創る!!』

と決めていた林さん。
大学在学中から映像製作に携わり、大学卒業後は、黒沢清監督や北野武監督など、様々な名監督のもとで、助監督を担当していました。

『自分もいつかは。。。』

という想いで巨匠の演出を学んでいた林さんに、突如、悲劇が訪れます。
お父様が突然、帰らぬ人となるのです。

林さんのお父様はとても厳しく、様々なノルマを林さんに課してきたものの、知らず知らずのうちに林さんに進むべき道筋を示し、林さんは成長してきたと言います。

そう。まるで「ニュー・シネマ・パラダイス」のアルフレードとトトのように。。。
その父がいなくなった事によって、

『果たして自分は何ができるのか、自分は何がしたいのか』

と、自分に対する深い問いかけをもち始めます。
しかし答えは簡単に見つかるものではありませんでした。
そこで林さんは、その答えを探すために、自らが『監督』する映画づくりに踏み切ったのです。

26歳の時でした。

[POINT] 自分のやりたいことは「期限付きで宣言」しておく!!
[POINT] 身近な人の不幸は人生の道筋を変える大きなきっかけになりうる!!


■自分の「想い」で、相手の「想い」を引き出す

撮影現場『らくだ銀座』製作時は、インターネットを使ってスタッフとキャストを募集したそうですが、林さんは実際に150人の方と会ったそうです。

人と会う時に重要なのは、「一緒にやりたい」という人を増やすこと。

何か生み出そうとする時は、自分の「想い」で、相手の眠れる「想い」を引き出し、そのプロジェクトの成功をお互いの夢にすることが重要だと言います。

とにかく熱意だと。


「一番大事なのは『熱』。情熱を持っていることです。絶対に熱いものが勝ちます。」

そこに発生する熱量の絶対値こそが化学反応を引き起こし、何かを生み出す源泉となる、と林さんは考えているのです。

[POINT] 熱意がクリエイティブの源泉
[POINT] 「熱意量」があればあるほど化学反応を引き起こし易くなる
[POINT] プロジェクトの成功を参加する人にとっての夢にする

 

■制作の現場で

多くの人の協力を得て、いよいよ始まった撮影ですが、撮影現場ではなかなか思うようにいかなかったのが現実のようです。

撮影現場林さんは20代 の新人監督。
カメラマンをはじめとする主要スタッフは、みな年上の大先輩。
林さんは言葉を濁されていましたが、かなりエキサイトした場面も多々あったようです(笑)。

撮影部隊の宿泊アレンジや住民700人のエキストラ手配、企業の協賛募集など、様々な作業を地域のボランティアのみなさんにお手伝いいただいたものの、「地域住民参加型の映画」作りという慣れない作業の連続だっただけに次々と難題が浮上

プロジェクト・リーダーでもあった林さんにそのしわ寄せが来るようになり、監督としての指揮が思うようにいかない日々が続いたようです。

しかし、問題があればあるほど、大変な事が起きれば起きるほど、林さんが重要視したのが、当事者とトコトン話をするという事

相手の話を聞き、自分の意見をいい、熱意を持って接する事を続ける。
勝ち負けを決める、のではなく、対話の時間を懸命に取る。

撮影現場そして、現場の雰囲気と多少違っていたとしても、毎晩、ポジティブなブログを書き続けることで(笑)、2週間後には、すーっと雰囲気が変わり、お互いの信頼感も強固になり、スムーズな撮影現場に変化したのでした。

そして、ついに、10代の頃から心に決めていた、29歳での映画公開を成し遂げるのです。

 

 

 

[POINT] 最高で最短の問題解決方法は、とことん話し合う事!!
[POINT] 話し合いの目的は、「心の対話」。勝ち負けを決める事ではない。
[POINT] 事実と多少違っていたとしてもポジティブなメッセージを出し続ける。

 

 

■ 会社経営について

林さんが代表を務める有限会社FireWorksは、この映画『らくだ銀座』の製作中に設立しています。

製作・配給と様々な場面でお金の管理や契約という概念が必要になり、会計士や税理士、弁護士も必要だという事になり、「なりゆきで・いつのまにか必要に迫られて」会社を設立する事になったと言います。

しかし、元々、映画・映像制作で収益を上げていこうという考えがなかったため、映画『らくだ銀座』の終了後はすぐに葛藤が生じてしまいます。

本来、映画の社会的処理のために設立した会社であって、誰かを養うために会社を設立したはずではなかったものの映画製作中に様々な人たちが会社に関わるようになるのは自然の流れ。

皆がボランティアというわけにもいかず、スタッフを雇うようになると、今度はそのスタッフに賃金を支払うために、経営者である林さんは「仕事を取らなくては」ならなくなったそうです。

何のために会社の代表をしているのか。。。

夢の実現のための映画製作がいつのまにか、自分に責任が重くのしかかるビジネスになってしまったのです。

 

そこで、会社設立から3年目、林さんは大きな決断を下します。
思い切って会社組織を再構築するのです。

一旦全スタッフをリセットして考え、スタッフや関係者の方々と話し合い、それぞれが自立の道を歩む事とし、改めて、現在のパートナーである脚本家の栗山宗大さんと2人で、今の会社をリスタートします。

“法人は利益を出して大きくしていかなければいけないのではないか”という命題に縛られてしまっていた時期もあったそうですが、「壊す」勇気を持つことで、本来自分の会社がやるべきことが見えてきたと言います。

[POINT] 自分が作り上げたものを一度「壊す」事で次のステップが見えて来る

 

■一人ひとりのクリエイターの存在ありきの、FireWorksとして、リスタート!!

リスタート後はフットワークが軽くなった事によって、クリエイティブな作業がスムーズになり、また、史上初の地域密着・住民参加型 映画『らくだ銀座』の 評判も口コミで広まり始めます。

自然と林さんの名前は自治体に知られるようになり、地域活性化プロジェクトなどが次々に舞い込んでくるのです。

2005年の映画『恋まち物語』は日本初の「市町村合併記念映画製作事業」として、愛媛県西条市、テレビ愛媛と共同で製作

最新作の東京都東大和市との共同映画『人生ごっこ!?』は2008年2月にレイトショー公開。
第13回ミンスク国際映画祭で映画記者審査員特別賞を受賞し、上海国際映画祭やフランスKINOTAYO映画祭などにも入選
しました。


人生ごっこ
■人生ごっこ!? 公式サイト

映画祭

現在は、北海道十勝で市民参加型映画プロジェクト、WAYAシネマ岐阜県恵那市で「心の合併」プロジェクト、船橋市民総映画人プロジェクトなども進行中です。

 

お父様の死によって一度は人生の道筋が見えなくなったものの、映画づくりを通して、様々な人に出会い、学び、そして楽しむ。

 

自分自身で進むべき道を確立した林さんを、お父様は天国でお喜びになられている事でしょうね。

 

[POINT] 映画・映像には色々な形がある。
[POINT] クリエイターとして、どうすればワン・アンド・オンリーになれるか、常に考えておく。

 

いかがでしたでしょうか。

林さんの活動は既存の映画製作、そして映画監督の枠とは大きく異なり、業界の人間でさえピンと来ないかもしれません。

しかし、映像化時代が訪れ、生活の様々な側面に映像が用いられるようになった現在、そして今後は、型にハマらない新進気鋭の若手作家にとって大きなチャンスではないかと思います。

いままでにない映像表現のキャンバスが広がっているのです。
それは果たしてどこにあるのでしょう?

<インタビューのまとめ>

1. 自分のやりたいことは「期限付きで宣言」しておく!!

2. 身近な人の不幸は人生の道筋を変える大きなきっかけになりうる!!

3. 熱意がクリエイティブの源泉。

4. 「熱意量」があればあるほど化学反応を引き起こし易くなる。

5. プロジェクトの成功を参加する人にとっての夢にする。

6. 最高で最短の問題解決方法は、とことん話し合う事!!

7. 話し合いの目的は、「心の対話」。勝ち負けを決める事ではない。

8. 事実と多少違っていたとしてもポジティブなメッセージを出し続ける。

9. 自分が作り上げたものを一度「壊す」事で次のステップが見えて来る。

10. クリエイターとして、どうすればワン・アンド・オンリーになれるか、常に考えておく。


<林弘樹さんのプロフィール>

埼玉県さいたま市(旧大宮市)出身。中学生の時に観たニュー・シネマ・パラダイスに感銘を受けたことをきっかけに、映画制作を志す。獨協大学外国語学部在学中より映画の製作を始め、卒業後は映画やテレビ番組の制作に携わり、黒沢清や和田誠、北野武らの元で助監督を務める。

2003年、商業作品の監督第一作『らくだ銀座』を製作。以後愛媛県西条市の合併を記念した映画『恋まち物語』等、地域住民参加型の映画製作を行う。2005年には地域活性化への取り組みが評価され、日経地域情報化大賞の日経MJ賞を受賞。最新作は「クレイドル〜眠れぬ夜の子守唄〜」 (ネットでも配信中)。